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wonder planet

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中国(完成6/5)

☆最初は中国


生れて初めての海外旅行が、リュックを背負った中国旅行になった。
中国語を第二外国語で習っていたことと、当時上海行きの船が神戸又は
大阪港から出航していて、学割のある運賃で安いというのも理由であった。

同じクラスの女4人で、約20日の日程にて出かけた。
船の行程は、2泊で上海到着というものであった。

当時、中国旅行にはまだビザが必要で(時代がバレるが)、
通貨の元も、人民用と外国人旅行者用の2種類あって、原則旅行者は
外国人用しか両替してもらえなかった。

びっくりした事その1
船がちゃちかった・・・・
九州行きのサンフラワー号の方がよっぽど豪華だった。
ゆえに、かなりゆれた。私以外の3人は2日間結構ひどい船酔いに
うなされていた。なぜか私だけほぼ平気で、「ザッパ~ン」と
波打ち付けるような船底の浴場で入浴したりしていた。みんな死んだように
ぐったりしていたので、厳しい船旅であった。

びっくりした事その2
どんな田舎町でも、どこからわいて来るやら、すごい人であった。
行った時期が春節(中国の旧正月)の時期だったので、お祭りをしている
街をちらほら見かけた。
列車を使って移動していたので、車窓から雄大な風景が見えるのだが、
お祭りをしている所ではどこでも大阪の心斎橋筋のような人手であった。

びっくりした事その3
これは、言わずにはいられない事であるが・・・トイレの話。
(今はかなり改善していると思います、念のため)
中国のトイレのすごさは噂に聞いていたけれど、やっぱり

1.扉がない、もしくは半分の高さ(しゃがんだら、なんとか見えない!)
2.溝だけ掘ってある自称「公衆トイレ」も観光地で見かけた
  (さすがに入れなかった)
3.後ろで待っている人が、じ~っ・・・・と私の用足しを見つめている!
  (中国では、公共での用足しは、日本での銭湯と同じ感覚(見ても、見られても平気・・・なようだ)

友人の中にはこのようなトイレを絶対受け付けられず、ホテル以外では用を足さなくて済むようにしていた子もいた。

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すべてが雄大かつ懐深い中国

予定は未定で始まった旅だったが、訪れた街は「上海」「南京」
「鄭州(ていしゅう」「北京」「杭州」の5箇所。
すべて列車だったが、ちなみに上海から南京まで6時間・・・
南京から鄭州まで12時間、鄭州から北京まで12時間、北京から
杭州まで24時間かかった・・・・広すぎる中国。
外国人窓口でなら、すぐ席が取れるのだが、何十倍も高価な上、
1等の席しか売ってくれないので、人民用の窓口で何回も列に並びなおして
4等の切符を手にした。残念ながら、立ち席(自由席)しか取れない
時もあった。中国語があまり通じなかったので、紙とペン持参で
筆談ばかりした。
4度長時間の列車に乗ったのだが、「指定席の4等」「すし詰め立って4等」
「疲れきって寝台1等」「人民用の寝台3等」と、いろいろ経験した。

現地で情報交換した日本人からは、「いざとなったら、パスポート
ふりかざして、『私は日本人!席を取って!』と頼めばなんとか席を
つくってくれる」といっていたが、なんだかなー・・・そんなひんしゅく
ジャパニーズになるのは遠慮した。

(思い出したが、「すし詰め立って4等」の時、6時間を経過した頃
皆に限界がきて、ジャパンパワーを行使しようとし、とある停車駅で
2名が車掌を求めて停車駅のホームに降り立った後、そのままその2人と
はぐれてしまって列車が発車し、超不安な4時間を過ごした。
結局2人は目的地到着の2時間前に合流できたが、へとへとでジャパンパワー
どころではなかったそうだ・・)

ぎゅうぎゅう詰の車内なのに、時間になるとその間をくぐって車掌が
やかんを手に車両を回る。みんな蓋付きの「マイカップ」を持っていて、
そこに「お茶」を入れてくれるサービスなのだ。
私たちも旅の途中でさっそくマイカップを購入し、多いに役立った。
また、食事の時間になると、やはり「弁当売り」がすし詰の車内に
やってきて、1種類の「ぶっかけ弁当(吉野家の牛丼のようなもの)」を
売っていた。

究極に疲れた体には、非常~においしく感じたものだ。

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現地ツアーの楽しみ

今後みにっくの旅に、たびたび登場することになるのだが、
中国で、日帰り「現地ツアー」を何度も楽しんだ。

ツアーには、ガイドが英語の外国人向けと、人民向けの2種類あって、
現地の「観光案内書」で簡単に申し込めた。我々4人はケチなので
当然格安の「人民向け」ツアーに参加した。

みにっくは
・「少林寺めぐりツアー」(鄭洲発)
・「西湖周辺めぐりツアー」(杭洲) を楽しんだ。

又、通常の運行バスも利用し、「黄河遊覧区(黄河川岸にある
広い公園)」などに行った。

運行バスは非常にオンボロで、扉がこわれて半開きになっていた。
ツアーバスはそれよりはグレードが高いが、日本のそれと比にならない。
ガイドさんはいろいろ教えてくれるが、中国語なので分からなかった。
残念だった。ガイドさん、若い娘さんでかわいかった~

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食の楽しみ・食事編

中国旅行は何といっても、大人数で行くのが正解だと思う。
どんな安食堂でも、それなりにおいしいし、人数が多ければ
たくさんの皿数をたのんで分けっこして、少量ずつ食べる
ことが出来る。

みにっく達は4人なので、それはもう、夕食を楽しんだ。
北京ダックとか、フカヒレなどという高級食材でなくても、
おいしい~~~
一人200円位でお腹いっぱい食べた。

注意)現在は改善されているかもしれないが、食堂の
衛生面は日本に比べてはるかに悪い。そして箸の形状が
日本より長いし先が太い。
「ウエットティッシュ」「マイ箸」を持参し、
少し?きたない未使用の取り皿をウエットティッシュできれいに
ふき取り、マイ箸を使って食事した。

おやつ編

その頃は、街で見かけるかぎり、ろくなお菓子がなかった。

「月餅」←まずかった

「さとうきび切っただけ」←地元の人達は、よく食べていたが、
さとうきびのまるかじり・・・かじったカスは皆道に捨てている・・
我々でためしたメンバーはいなかった。

パン?みたいな形状のもの←まずかった

干しブドウ←なかなかいけた

チョコレート←まあまあ

殻付きピーナッツ←おいしいけれど、殻を
向くのが面倒でそんな頻繁に食べなかった

・・・ということで、「干しブドウ」と「チョコレート」が
おやつの定番だった。

しばらく、その味で満足していたのだが、旅の終わり、日本へ向かう
船の中で「きのこの山」チョコレートを食べて、あまりのおいしさに
驚愕した・・・・それ程、中国のチョコの味と日本のチョコの味には
差があった。

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最後に

最初の旅でかなりキョーレツな印象を受けた中国の旅は、書き出したら
キリがない。

人々がエネルギッシュで、女性・男性の区別が全くなく(スカートの女性
を見かけたことがほとんどなかったし、バスの運転手も女性が多かった)
言葉もきつく(中国語って激しくなると「ケンケン!」と聞こえる)
接客の態度は悪いし、日本人と顔は似ているが、性質はアメリカ人に近いと
感じた。

観光地ではないがいたる所に歴史を感じる古い建造物を見かける一方、
やけにピカピカな寺院があったり、(大きいな建物ほど)新しい感じがした。
・・・もしかすると、文化大革命時に破壊されて、再建された建物
だったかもしれない。

北京は上海以外はまだまだ自転車の海だった。
現在の、未来都市のような上海になるずっと前の頃だったのだが、
旧植民地時代の美しい内装のホテルに宿泊し、手動のエレベーターに
感動したりした。

香港からの旅行者が多く、列車の中で同年代のグループと仲良くなった。
彼らの広東語なまりの英語はとても聞き取りにくかったけれど、
皆すごく陽気で、クリスチャンネームで呼び合っていた。
私たちは、かなり疲れていたが、彼等と一緒になったらパワーを
もらって元気が出た。

すべてが非効率で、寒さの為に皆交代で体調をくずし、予定していた
行程の半分しかこなせなかった。
(みにっくは風邪の為「万里の長城」に行けず、一人ホテルで寝ていた)

当時の日記には、「又行きたい」という言葉が何回か出てくる。一部抜粋すると
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しんどい。頭が痛い。のどがつまる。腰が痛い。
残念だけれど、(万里の)長城をあきらめることにした。
これ以上体調をくずしたら大変。あと1週間もあるし、安静に
しておこう。でもかならずもう一度北京に来て、長城や
昭願園や天頑公園を見に行きたい。北京は3,4日では
とうてい見れない
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なので、いつかは再訪したいと思いつつ、はたして
実現するのか?

子連れではとてもお勧め出来ないが、
(子連れの設備なんて全くなさそうなので)
少し子供の手がはなれて、行き詰まった時などに
思い切って訪れるのもいいかもしれない。

アジア人のパワーに接して、元気をもらおう!








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